こんにちは、おにぎりです!
2023年大河ドラマ「どうする家康」が始まりました。
歴史好き、特に戦国時代が大好きな私にとって興味津々です。
今までの家康をテーマにしたドラマと違って、局面局面で「さぁどうする」
という問いと答えが見どころです。
ご存知の方も多いと思いますが、家康はなんと20人以上の側室がいたと
言われています。超女好きと言われている豊臣秀吉でさえ13〜4人。
20人以上の側室がいたのだから当然様々な問題が勃発して、その都度
「どうする家康」状態だったはず!
そこで、正室、 「どうする家康」に出てくる側室3人、それ以外の
主な側室5人、女の実子5人、20人いた養女の中から4人をご紹介します。
ある意味、徳川家康の天下取りはこの女性たちが成し得た偉業なのかも!
コンテンツ
1:「どうする家康」に登場する正室と側室たち
「どうする家康」の公式サイトに記載されている正室と側室たちは、
正室・築山殿(瀬名)/ 有村架純、側室・西郷局(お愛の方)/ 広瀬アリス
西郡局(お葉) / 北香那、小督局(お万の方) / 松井玲奈。
この方たち以外に個性派側室5人をご紹介します。
1)ドラマに登場する正室と側室
- 父は今川家重臣・関口氏純、母は今川義元の妹、家康が駿府で人質であったときに正室となった。
- 生まれ年は不明だが、家康より年上だったと言われていて、非常に嫉妬深い性格と伝えられています。
- 今川氏の意識が強く、家康との関係もうまくいかなくなっていった。
- さらに、長男・信康の嫁で信長の妹・徳姫との関係も良くなく、徳姫が築山殿の悪事や武田氏と内通しているという衝撃的な書状を送ったのがキッカケに、家康は築山殿を殺害。
- 築山殿の悲しき結末だが、家臣から殺害の報告を聞いた家康は「女のことだから処置のしようもあったろうに」とこう言いったと伝えられている。
-
子ども:長男・信康(母・築山殿と一緒に殺害される)、長女・亀姫
家臣から殺害の報告を聞き最後の最後、家康は築山殿にちゃんと愛情をしめした・・・
と私は思います。家臣が気を利かせてどこかに逃がして欲しかったと。
- 父は戸塚忠春、母は三河八名郡の西郷正勝の娘。
- 美人で温和な人柄で家康のお気に入りで、家臣や侍女らにも好かれていたという。
- 西郷局は強度の近視であったようで、盲目の女性に恩情をかけ衣服や飲食を提供していたと言われています。
- 38歳の若さで亡くなっていて死因は定かではなく、一説には築山殿の侍女が毒殺又は暗殺とも言われます。
- 子ども:三男・秀忠(二代将軍)、四男・忠吉(尾張清洲藩主)
- 父は鵜殿長持、妹は女城主として有名なお田鶴の方(椿姫)。
- 人質として家康の元へ送られ、やがて寵愛を受けるようになった。
- 子ども:二女・督姫
- 父は三河国知鯉鮒(ちりふ)明神の社人・永見貞英。
- 母は水野忠政の娘で、徳川家康とは親戚ではないかと言われています。
- 築山殿の侍女として仕えていた。
- 湯殿で家康の手付となって次男秀康を懐妊。
- 小督局の懐妊を知った築山殿の怒りはスゴく、寒い夜に小督局を裸にして城内の庭の木にしばり付け放置したという逸話がある。
- 子ども:次男・秀康(越前藩主)
2)まだまだいる側室、個性派5人
- 父は武田家家臣・秋山虎康で穴山梅雪の養女となり、家康の奥づとめ。
- 一説には信玄の娘松姫の身代わりになったという説がある。
- 子ども:四男・信吉(常陸水戸藩主)
- 夫を殺され娘を抱いて逃げている途中、鷹狩りをしていた家康の目にとまり取り立てられた。
- 聡明だったお茶阿の方は、家康に信頼されて奥向きのことも任されたという。
- 子ども:六男・忠輝(越後高田藩主)、七男・松千代(6歳没)
この、お茶阿の方が産んだ子供「忠輝」は私が戦国時代の歴史が好きになった
キッカケの人物でもあります。
生まれた時の容貌が特異であり「この赤児を、直ぐに捨てよ!」と家康に
嫌われ家康や兄の二代将軍・徳川秀忠へ反発をし25歳で流人の身となった異端児。
剣の達人にして軍略家、倶儡子(くぐつ)と呼ばれた流浪の旅芸人達や住民に
慕われた魅力いっぱいの人物です。
妻は伊達政宗の娘・五郎八姫。
伊達政宗と松平忠輝この二人が時代を作ったらきっと面白かったはず!
私も何度も読んだ小説「捨て童子・松平忠輝」一度読んでみてください。
- 父は京都石清水八幡の祠官志水清康。
- 徳川幕府を支えた御三家の尾張藩始祖を産んだ功績は大。
- 子ども: 八男・仙千代(6歳没)、九男・義直(尾張藩主)
- 父は上総の正木左近大夫邦時。北条家臣の蔭山氏広の養女。
- 熱心な日蓮宗の信者で、本遠寺の僧が処刑されそうになった時、命がけで家康を諌めたという逸話がある。
- 徳川幕府を支えた御三家の紀州藩及び水戸藩始祖を産んだ徳川の福女。
- 子ども:十男・頼宣(紀州藩主)、十一男・頼房(水戸藩主)
- 父は武田の家臣飯田直政。
- 家康から最も信頼されていたとされる。
- 政治外交手腕にすぐれ大阪冬の陣では豊臣方との交渉役を務めた。
続いては、家康の娘たちのご紹介です。どんな女性たちだったのだろうか。
2:家康5人の姫、日々こもごもの人生
家康には亀姫、督姫、振姫、松姫、市姫と5人の娘がいたのですが、
残念ながら、四女松姫、五女市姫ともに4歳で亡くなっています。
ここでは長女・亀姫、次女・督姫、三女・振姫をご紹介します。
1560年、駿府に生まれた。誕生した年に桶狭間の戦いがあり、その後
まもなく家康が今川から独立したことで母・築山殿らとともに駿府に
取り残され、身の危険が迫ったこともあった。
1576年に三河新城城主の奥平信昌と結婚。
その後、信昌が美濃加納10万石に封ぜられて同地で暮らした。
亀姫には恐ろしいエピソードがあり、重臣本多正純が失脚するきっかけ
となった「宇都宮城釣天井事件」の黒幕説。
母親築山殿に似て、嫉妬深い性格だったと言われており、夫の信昌には
側室を置かせなかったり、侍女を12人殺めたという話が残されています。
信昌没後、尼となり盛徳院と称し1625年、66歳で没した。
1565年、岡崎に生まれた。家康が小田原北条氏と同盟を結んだ際、
北条氏直に嫁ぎ、氏直が亡くなると池田輝政と再婚。
父の家康と盛んに交流して、三河吉田15万石から播磨姫路52万石
へと輝政の栄進を助けた。
その一方で、我が子可愛さで、先妻の子利隆を毒まんじゅうで殺害した
という逸話も残っている。
輝政没後、尼となり良正院と称し1615年、51歳で没した。
1580年、浜松に生まれた。秀吉の命で1596年に蒲生氏郷の嫡子である
秀行結婚。秀行が30歳で死去。
今度は家康の命で浅野長晟と1616年に再婚。
しかし翌年38歳没した。
なんだかとても悲しい姫たちなのかもしれないです。
次は、天下泰平に貢献した4人の養女たち。
3:時代に翻弄されながら自分の戦いを貫いた4人の養女
他家から家康の養女となり、他家へ嫁いで行く。嫁いだ先で徳川家のため、
そして嫁ぎ先の家のために自分の戦いを貫く戦国の姫たち。
ここでは、20人いたと言われる家康の養女の中から、特に注目する4人を
ご紹介します。
徳川四天王のひとり本多忠勝の娘。
1590年家康の養女となり、真田昌幸の嫡男真田信之と結婚。
関ヶ原の戦いで親兄弟敵味方に分かれた真田家。
そんな真田家を支え続けたのが小松姫。
才色兼備であり、愛情が深かったと言われています。
婿選びのエピソード、沼田城のエピソードなど様々なエピソードがあり、
戦国時代を代表する武士の妻女です。
松平定勝の次女。
家康の養女として11歳の時土佐高知藩山内忠義と結婚。
山内家と徳川家の絆を強くする、文字通りの政略結婚です。
絆を壊さぬように奥向きをしっかり守った良妻。
松平康元の娘。
福島正之に嫁ぎ、のち津軽信枚と再婚。
前夫福島正之との子は、弘前藩の家老・大道寺直英の養子となっており、
津軽信枚との間の子は弘前藩の支藩黒石藩の祖・津軽信英。
前夫福島正之との子が改易された福島氏再興を幕府に嘆願しようとした
のが悲劇の始まり。我が子の行動が、津軽家の迷惑になると考えた満天姫
はやむを得ず実の子を毒殺してしまった。
この満天姫の人生は多くの悲しみで満ちていて力強く戦っています。
ドキドキワクワクして、とにかく引き込まれていきます。
ご興味のある方は是非!
「家康の養女 満天姫の戦い」(潮文庫)をお読みください。
保科正直の娘。
家康の養女として関ヶ原の戦い直前に黒田長政と結婚。
順風満帆の黒田家に2代目黒田忠之の素行問題などで将軍が裁決する騒動
「黒田騒動」に発展。
この騒動を収めるべく動いたのが栄姫で、黒田家の所領安堵に繋がった。
いかがでしたか。
それぞれの姫が時代に翻弄されながらも、必死に大切なものを守ろうと
戦ってきたということです。
4:まとめ 天下取りに家康を支えた女性たち
いつの時代も女性の力はすごいと感じます。
「どうする家康」でもきっと女性がキーマンとしていくこともあるはずです。
その時は、もう一度読んでいただければ!
▶︎ 「どうする家康」に登場する正室と側室たち
築山殿(瀬名):悲しき結末、つゆと消えた正妻
・生まれ年は不明だが、家康より年上だったと言われていて、非常に嫉妬深い
性格と伝えられています。
西郷局(お愛の方):二代将軍秀忠を産んだ家康お気に入り側室
・美人で温和な人柄で家康のお気に入りで、家臣や侍女らにも好かれていたという。
西郡局(お葉):家康最初の側室
・人質として家康の元へ送られ、やがて寵愛を受けるようになった。
小督局(お万の方):神秘的な美しさを武器に築山殿の侍女から側室に
・小督局の懐妊を知った築山殿の怒りはスゴく、寒い夜に小督局を裸に
して城内の庭の木にしばり付け放置したという逸話がある。
▶︎ まだまだいる側室、個性派5人
お都摩の方:宿敵武田氏からおくられた側室
・一説には信玄の娘松姫の身代わりになったという説がある。
お茶阿の方:人生いろいろ鋳物屋の妻から側室に
・聡明だったお茶阿の方は、家康に信頼されて奥向きのことも任されたという。
お亀の方:御三家尾張藩始祖の生母
・徳川幕府を支えた御三家の尾張藩始祖を産んだ功績は大。
お万の方:御三家の二家の始祖を産んだ奇跡の側室
・熱心な日蓮宗の信者で、本遠寺の僧が処刑されそうになった時、命がけで
家康を諌めたという逸話がある。
阿茶局:外交を担った側室
・政治外交手腕にすぐれ大阪冬の陣では豊臣方との交渉役を務めた。
▶︎家康5人の姫、日々こもごもの人生
(四女松姫、五女市姫ともに4歳で亡くなっていますので
ここでは長女・亀姫、次女・督姫、三女・振姫をご紹介します。)
亀姫:恐ろしさ満開の長女
母親築山殿に似て、嫉妬深い性格だったと言われており、夫の信昌には
側室を置かせなかったり、侍女を12人殺めたという話が残されています。
督姫:夫の英進を助けた良妻の顔と、恐ろしい大胆な顔
我が子可愛さで、先妻の子利隆を毒まんじゅうで殺害したという逸話も
残っている。
振姫:政略結婚に翻弄された薄命の三女
2度の政略結婚で38歳の若さで没した。
▶︎時代に翻弄されながら自分の戦いを貫いた4人の養女たち
小松姫:真田家を支えた義侠心
才色兼備であり、愛情深く真田家を支え続けたのが姫。
阿姫:山内家と徳川家の架け橋
山内家と徳川家の絆しっかり守った良妻。
満天姫:夢と現実が生んだ悲劇
福島氏再興を幕府に嘆願しようとした前夫との子と今の夫との子の間で
揺れた悲劇の姫。
栄姫:黒田家の危機を防ぐ
「黒田騒動」を収めるべく動き、黒田家の所領安堵に繋がった。
歴史はおもしろい。ドラマに登場する歴史上の人物一人ひとりに物語があり、
その物語が幾重にも重なり合って一つに繋がっていく。
だから夢中になって見てしまう。気になった人物がいたらぜひ、その人物の
歴史を物語を深掘りしてみてください。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。