こんにちは。薬膳漢方マイスターのおにぎりです!
今回は雑記で食とは全く関係ないです。
私のもう一つの職業である動画クリエーターの分野で大河ドラマに
ついての記事です。
といっても映像論ではなく、単純に私が大河ドラマにしてほしい題材
についてです。
最近、意外と歴史ドラマや映画が結構あります。
ざっと、代表的なのは、
2022年テレビドラマ「新・信長公記~クラスメイトは戦国武将~」
2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
2023年新春ドラマスペシャル「ホリデイ~江戸の休日~」
2023年テレビドラマ「大奥(2023年版)」
2023年大河ドラマ「どうする家康」
2023年映画「レジェンド&バタフライ」
という感じで、歴史物が結構多いです。
そこで、私が好きな大河ドラマでぜひ扱って欲しい戦国武将をご紹介。
一般的にはあまり知られていない豪傑・女傑です。
1:これぞ戦国最強!知らなきゃ損、豪傑と言われる武将
大河ドラマが始まってから現在まで、戦国時代を扱ったのは19本。
1965年 「太閤記 」/ 豊臣秀吉
1969年 「天と地と」 / 上杉謙信、武田信玄
1973年 「国盗り物語」 / 斎藤道三・織田信長・明智光秀
1981年 「おんな太閤記」 / 豊臣秀吉の正妻ねね
1983年 「徳川家康」 /徳川家康
1987年 「独眼竜政宗」 / 伊達政宗
1988年 「武田信玄」 /武田信玄
1992年 「信長 KING OF ZIPANGU」 / 織田信長
1996年 「秀吉」 / 豊臣秀吉
1997年 「毛利元就」 /毛利元就
2002年 「利家とまつ~加賀百万石物語~」 前田利家と妻まつ
2006年 「功名が辻」 / 山内一豊と妻千代
2007年 「風林火山」 / 山本勘助
2009年 「天地人」 / 直江兼続
2014年 「軍師官兵衛」/黒田官兵衛
2016年 「真田丸」 / 真田幸村
2017年 「おんな城主 直虎」 / 井伊直虎
2020年 「麒麟がくる」 / 明智光秀
2023年 「どうする家康」 / 徳川家康
武将で言うと織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、明智光秀を
テーマにしたのが各2本で多く、他は1本。
やはり戦国3英傑という感じです。
でも、これからご紹介する戦国豪傑武将は、大河で扱うとかなり
面白いです。
笹の才蔵「可児才蔵」、槍の勘兵衛「渡辺勘兵衛」
この二人、超ド級の暴れん坊です。
▶︎天文23年(1554年)美濃国(岐阜県)出身。
この才蔵、とてつもなく強いが、ある時期までとてつもなく運がなかった。
仕えた主君、斎藤龍興から始まり、柴田勝家、明智光秀、織田信孝とことごとく
非業の死を遂げている。
武功を求め豊臣秀次、前田利家と主君を変え戦場を転々とするがなかなか目がでず…
と言っても本人にも問題があるのかも。
豊臣秀次家臣の時、可児才蔵の人物像を浮き彫りにする逸話が残っています。
天正12年(1584年)の長久手の戦い。
主君の羽柴秀次が、徳川軍の猛攻を受け敗走するさなか、馬がなく徒歩と
なった主君である羽柴秀次が才蔵に馬を貸すように命じる。
しかし才蔵は「雨降りに傘を貸す者などおらぬ」と言い放ち拒否。
もちろんその後、怒った羽柴秀次は才蔵を解雇。
これぞ天下御免のさすらい武将「可児才蔵」らしい逸話です 。
そして、最後に仕えた主君が福島正則。
福島正則の家臣として戦った「関ヶ原の合戦」で、戦国屈指の猛将の名を得ることに。
才蔵の関ケ原合戦の武勇について「芸州誌」に、「先陣を進み、槍を合わすこと28、
敵の首を捕ること20騎、言語道断古今無し」と書かれています。
才蔵は笹の指物を背負って戦い、討ち取った敵の首に笹の葉を咥えさせました。
戦いの後、尋常じゃない数の首から笹の葉が見つかり、これを知った徳川家康から
称賛され、『笹の才蔵』の通り名を与えられたとされています。
ちなみに才蔵の戦いは薙刀。宝蔵院流槍術の奥義を極め、槍の動きを薙刀に応用して
独自の戦い方を生み出しています。
非常に魅力的な人物「可児才蔵」。現代社会の組織という面では、かなりめんどくさい
人物で一歩間違えばトラブルメーカー。
でも、現代社会を生き抜く上でのメンタルは学びたいです。
私が思う可児才蔵役は松田龍平または新田真剣佑。
▶︎永禄5年(1562年)近江国(滋賀県)出身。
この勘兵衛も才蔵と同じように主君を変えること4度。
最初に仕えたのが浅井氏麾下の阿閉貞征で、槍の遣い手として「槍の勘兵衛」と称され
頭角を現したが浅井氏が滅亡。
次に羽柴秀吉に仕え養嗣子・羽柴秀勝付きになるが、秀勝が18歳の若さで亡くなると、
羽柴家から去り、今度は豊臣秀次の家老・中村一氏に仕官。
ここで勘兵衛は大きな武功を立てます。
小田原征伐、山中城攻めで、勘兵衛が岱崎出丸へ一番乗りを果たし、これを
きっかけに山中城は陥落。
山中城は空堀にバリケードが設けられ、土塁の柵の背後には敵兵が待ち受けるなど
攻めるには厳しい状況下の中、並外れた強力で敵を槍で打ち倒していった。
秀吉から「捨てても1万石は取るべきものなり」と称賛されたが、中村氏からの
恩賞は3千石が加増されただけ。
勘兵衛は不服として、中村氏を去り増田長盛に仕官。
ここで勘兵衛らしいエピソード。
慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い。
西軍についた増田長盛は、大和郡山城を勘兵衛に守らせることに。
戦いの結果は徳川家康率いる東軍の勝利に終わり、当然、勘兵衛が守っていた
城も東軍へ明け渡すことになります。
ところが、城の明け渡しを要求する東軍に対し、勘兵衛は「主君の命により城を
預かっているので」という理由で明け渡しを拒否。
結局、増田長盛が開城せよという書状を書き、城の明け渡しは完了しました。
これぞ見事な勘兵衛の器量や忠義。
最後に使えたのが藤堂高虎。その待遇はなんと破格の2万石。
阿閉家から離れ秀吉に仕えた時2千石の待遇。そこから武功を重ね2万石までに
出世した戦国屈指の猛将。
ただ晩年、大阪夏の陣で勝手に敵方に突っ込んでいったことから軍令違反で解雇。
これまた戦働きの猛将、勘兵衛らしいところ。
外資企業で腕と度胸で出世街道猛進という感じです。
私が思う渡辺勘兵衛役は鈴木亮平または斎藤工。
続いて、次の章では女傑。是非見てみたい必見女傑。
2:乱世戦国に名を馳せた誰もが唸る女傑
ここでは、立花誾千代と大祝鶴姫、二人の女傑をご紹介します。
▶︎1569年、豊後国(大分県)出身。
大名・大友宗麟の重臣・立花道雪のひとり娘として生まれ、なんと7歳で父から家督を
譲られ、立花城の城督(城主)となります。
女子の家督相続は非常に珍しい時代。
誾千代13歳のとき、立花家の婿という形で高橋紹運の子・弥七郎統虎(のちの立花宗茂)
と結婚します。
文禄元年(1592)からはじまった文禄・慶長の役で宗茂が朝鮮に出兵。
ここから誾千代の女傑ぶりを発揮。
留守中の城の守備を任されたのが誾千代でした。
立花城には3千の兵力があり、それ以外に誾千代が率いた女子組と呼ばれる
武士の妻や侍女で作られた組織や女子鉄砲隊がありました。
宗茂が朝鮮に出兵中、豊臣秀吉から名護屋城へ来るよう呼び出された誾千代は
鉢巻き・襷がけの軍装で、しかも手には長刀を持って秀吉の前に。
秀吉は、「戦時である。戦支度で馳せ参じるとは立派な心構え」と褒めたと
言われています。
そして、関ヶ原の戦いでは、西軍についた宗茂は完敗。
逃げる宗茂を誾千代が救出に向かい、無事に城まで送り届けたのち、誾千代は
甲冑を着て出陣し、海上から来襲した鍋島軍を撃退。
その後、開城の説得にやってきた加藤清正率いる2万の兵の前に立ちはだかります。
加藤清正は誾千代の雄々しさを見て「さすが立花山の女城主」と称え、
「自軍の兵をみすみす損ねることもあるまい」と迂回路を通って引き返したと
言われています。
度肝を抜く女傑です。
柳川市観光協会では、 立花宗茂と誾千代NHK大河ドラマ招致を応援する会を発足
して活動しているみたいです。ご興味のある方はホームページをご覧ください。
立花家資料館のブログに「スタッフ大河ドラマ妄想キャスト2021」という記事
があって、誾千代役は、土屋太鳳、川口春奈、戸田恵梨香、広瀬すず等が
書かれていました。
私個人としては、清野菜名が一押しです。
▶︎大永6年(1526年)、大三島出身。
島にある大山祇神社の大祝職(大宮司)の娘として生まれました。
本来、大山祇神社のしきたりで、長男が神職である大祝職を、次男が大三島を
警護する水軍大将を継いで、島内・三島城の陣代となっていました。
しかし、鶴姫が16歳の時、生活は一変します。
大内氏が大船団を率いて大三島に攻め込んできて、三島水軍の陣代であった
次男が討ち死にしてしまいます。
そこで鶴姫が次男である兄の遺志を継ぎ、陣代として三島水軍の陣頭に。
甲冑を身にまとい、大薙刀を携えて「われこそは三島大明神の使いなり」と
名乗り戦いに挑み大内軍を撤退。
そして2年後の天文12年、大内氏は陶隆房を大三島に送り込みます。
鶴姫、18歳の時。ここから悲しい物語が始まります。
この時、三島城陣代の職についていたのは鶴姫の幼馴染「越智安成」。
鶴姫と安成は、思いを寄せ合う関係でもありました。
大艦隊の大内軍に敗北は避けられない状況に陥っていき、そこで安成は自らが
敵の指揮船をめがけて突撃し、敵の艦隊を沈めることには成功しますが、悲しい
かな安成は戦死。
戦死を知った鶴姫は、安成の無念を思い、再出撃を敢行し夜襲をかけると、
大内軍は大混乱に陥り陶隆房は戦闘の継続を断念します。
鶴姫は大三島を守り抜いたのですが、安成を失った悲しみから、夜の海に
ひとりで船を漕ぎ出し、再び戻ってくることはなかったと言われています。
戦いの強さと想う心の強さを持ち合わせている大祝鶴姫。
これぞ大河にピッタリの人物だと私は思います。
私が思う大祝鶴姫役は、二階堂ふみまたは池田エライザ。
立花誾千代と大祝鶴姫、二人の女傑とも大河で見てみたい。
自分なりの配役を考えるのも結構楽しいので、皆さんも是非考えて想像してください!
3:まとめ 大河ドラマにしてほしい戦国武将と女傑
いかがでしたか。歴史上の人物は本当に魅力的です。
今回ご紹介した「可児才蔵」、「渡辺勘兵衛」、「立花誾千代」、「大祝鶴姫」
以外にも大河ドラマで扱ってほしい歴史上の人物がいっぱいいます。
剣豪「小野忠明」、庶民の医師「施薬院全宗」、おあむ物語「おあん」などなど。
このブログでも記事にしている「どうする家康、妻そして側室、娘に養女になんと50人。
女だらけの天下取り!」に記載した女性たちも魅力的で大河で扱ってほしいです。
興味のある方は是非ご覧ください。
▶︎笹の才蔵「可児才蔵」
関ケ原合戦の武勇について「芸州誌」に、「先陣を進み、槍を合わすこと28、
敵の首を捕ること20騎、言語道断古今無し」と書かれており、家康を驚かせた
天下御免の荒武者。
私が思う可児才蔵役は松田龍平または新田真剣佑。
▶︎槍の勘兵衛「渡辺勘兵衛」
主君を4度変えながら武功を重ね2万石までに出世した戦国屈指の猛将。
剛力を誇りいかなる障害をも乗り越える俊敏さを持って戦場を駆け抜けた。
私が思う渡辺勘兵衛役は鈴木亮平または斎藤工。
▶︎ 生まれながらの女武将「立花誾千代」
立花城3千の兵力、誾千代が率いた女子組と呼ばれる武士の妻や侍女で作られた
組織や女子鉄砲隊を率いた女武将。
私が思う立花誾千代役は清野菜名。
▶︎瀬戸内のジャンヌダルク「大祝鶴姫」
われこそは三島大明神の使いなり」と名乗り大内氏の大船団を退けた水軍陣代。
しかし、最後は戦死した幼馴染で思いを寄せる水軍陣代安成の後を追って…
私が思う大祝鶴姫役は、二階堂ふみ、池田エライザ。
歴史を辿るのは素直にいいと感じます。自分がその時代にいたらどうなって
いたのだろうと想像してしまいます。
もしあなたが戦国時代に生まれていたらどうしていましたか?
最後までお読みくださり、ありがとうございます。